廃墟の街のブログ

Now on Saleです。

本当に久しぶりに図書館にきた。

日常的に訳詞をやっているとそれだけでかなりの言葉の情報量があるので案外満足してしまうという面がある。

私が向かうのは大抵は詩のコーナーで、他には絵本とか、歴史だったり宇宙だったりと実用的でないジャンルばかりなんだが、それで詩のコーナーにビートたけしさんの本を見つけた。

芸能人のエッセイ的な本なのかと思ってなんとなく開いてみたのだが、それはなんというか、非常に詩だった。

多才なイメージがある方なのでそれほど驚きもしなかったが、少し読んでやはりなにか惹きつけるものを感じたので椅子に座り少し真面目に(というのも変だが)読んでみた。

しばらく読んでみると、だんだんと気分が悪くなってきた。

内容にではなく、文章を読むたびにビートたけしさんその人の顔が浮かんでしまうことにだ。

なんなら動画にもなってしまう。頭の中で。

これはつまり作者ビートたけしさんという情報の関連項目として脳が勝手に私の中のハードディスク的な記憶領域に保存された「しゃべるビートたけしさん」という情報を引き出してオート再生しているわけだ。

余計なことを。

人間の脳の性能の良さに驚くが、一方でそれは完全におせっかいな機能だ。

私は言葉や文章それのみがもたらす感覚を楽しみたいのに、私のOSなりプログラムなりは勝手に作者の映像情報を(良かれと思ってか)詩に合わせてしまう。

すると言葉はただの言葉という匿名性を剥ぎ取られ「詩を朗読するたけしさん」という全然望んでないコンテンツに置き換えられてしまう。

なんというクソ仕様だこれは。

しかもオンオフの切り替えもできない。性能がいいのか悪いのかよくわからない。

顔を知らなければ楽しめたのにな。顔を知らなければ。