詞先か曲先か

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実際に両方試してみました

歌ものの音楽制作を始めると誰もが一度は考える問題があります。それが「詞先か曲先か問題」です。
今回は私の数少ない経験からお話しますが(すべて人は経験からしか話せないわけですが)実は両方やってみてどちらが良いのか考えていた時期がありまして、結論からいえば曲先が良いです。

 

あくまで「こちらのほうが現代的な音楽制作としてはやりやすい、うまくいきやすいだろう」という話であり、どちらが正解という類の話ではない気はしていますが、というわけで今回は詞先曲先というふたつの制作手法について考えていこうと思います。


俳句と短歌、あるいは自由律俳句

ところで俳句はご存知ですか。五・七・五で短い言葉を作る日本古来から続く定型詩です。

日本語の歌を作るという作業は俳句や短歌と非常に共通するところがあるなと、以前から思っているのですが、俳句といえば例えば​

 

夏草や 兵どもが 夢の跡

とか

 

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 

などですね。

もう少し長い短歌というフォーマットもありますね。こちらは五・七・五・七・七の文字数で文を作ります。
私はどちらかというと短歌の方が好きですが。俳句はちょっと短すぎるような気がしないでもないです。

 

 

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 
    衣ほすてふ 天の香具山

 

白鳥は かなしからずや 空の青

海のあをにも 染まずただよふ

こういうのが短歌ですね。古文はかっこいいです。意味は、まあ置いといて。
それで他にも自由律俳句というフォーマットもあるのをご存知でしょうか。そういう俳句のジャンルなのですが、自由という名の通り文字数の制限がないフォーマットなんです。

咳をしても一人

とかですね。咳をしても(6)一人(3)なので全然文字数が俳句じゃないわけですが、つまり文字数の縛りから解放されたフォーマットというわけです。

カキフライが無いなら来なかった

こういうのです。文字数の制約がないですね。​
なぜこんな話をしているかというと文字数制限のある俳句や短歌と自由律俳句の違いは、詞先と曲先の違いに通じるものがあるのではないかなと思ったので紹介してみました。
例えば詞を先に作るという作業はいわば自由律俳句を作る状態なんです。

 

なぜなら曲がまだできていないので事実上文字数の制約がなく、いくらでも好きな言葉を作れるからです。非常にフリーな状態です。
詩のようなものですね。詞ではなく。まあ詩は自由だからこそ逆にむずかしいともいえるわけですけれど。
一方の曲から先に作るという場合を考えると、歌詞を考える時点でもうメロディーができているので、そのメロディーの文字数に当てはまる歌詞を考える、選ぶことになります。文字数に縛られるわけです。​

この状態での作業は俳句や短歌の五・七・五や七・七に言葉をはめ込む(あるいは選択する)作業に非常に似ている気がしています。
単純に制約の面から考えると短歌や俳句のほうが自由律俳句よりも難しそうに見えますよね。良い言葉が思いついたのに文字数が五・七・五や七・七に合わない、ということが起こるからです。曲先の作詞という作業も当然こういう文字数が合わない問題が頻発します。では詞先のほうが楽なのでしょうか。どうなのでしょう。

 

ところで歌の場合は文字数の制約の他に、言葉固有の音の高低(発音)とメロディーの音の高低の相性もでてくるので短歌よりもより制約の高い作業だと感じているのですが、これは話がそれるのでまたの機会に。

 

それでですね、詞先で歌詞を考える場合、文字数制約がないためになにか意図的に規則を決めない限
りは自由にイマジネーションの続く限り言葉や文章をいくらでも積み上げていけるわけです。
そうするとなにが起こるのか。
文字数や言葉の区切りがばらばらな文章ができてしまうわけです。
まだメロディーがなく文字数の制約も区切りもないわけですから、当然といえば当然ですね。
しかし例えばこれが自由律俳句や詩であれば、文章だけで作品が完成する世界なので、「それで終わり」「完成」でもよいわけですが、私たちがやっていることは歌です。

歌というものはあくまでメロディーの上に言葉が乗るものであり、そして歌詞を作ることは数ある作業のうちの一つであって、当然それだけで完成ではありません。当たり前ですが詞先であればあとからメロディーを作らなければなりません。
詞先であれば、いろいろと自由に書き連ねた歌詞からメロディーを作っていくことになるわけですが、ここで思い出して欲しいのがメロディーの構造の話です。

 

21st-musictheory.hatenablog.com

​メロディーというものの基本的な構造についてさわり程度なのですが考察しています。
ぜひ一読していただきたいのですが、優れた歌のメロディーというものは、一見適当に音階を並べているように見えても実は同じラインを執拗に繰り返したり、あるいは高さを変えてずらしたり少し変更したり(このあたりはまだ触れていませんが)といった工夫や、AメロとBメロの違いをわかりやすくするために繰り返しパターンの間隔を短くしてみたりといった構造上の工夫がなされているものなんです。

 

つまり詞先で作るということは、そのまだできていないメロディー構造、つまり骨組みのようなものをあるいは見越しつつ、AメロBメロまたはサビの対比構造などをも、ある程度見越しつつ、あるいはなんらかの想定をしながら文字を作っていかなければならないことになるわけです。
そうでもしない限りはメロディーがメロディーたりえるためのパターンが作れずに、ただのアドリブや音の羅列になってしまいます。
もしくは音楽的に成立するメロディーをなんとか特定部分の歌詞から組み立てたのちに、どうしても合わない歌詞部分を合わせるためにせっかく書き連ねた言葉をあらためて切り貼りしていく作業が発生することになります。
なぜならよほど運が良くない限りはあとから作った構造的に成立するメロディーと自由に書き連ねた歌詞の文字数や言葉の区切りが合わないからです。
自由には代償がつきものですが、作詞の場合にもこの現実は当てはまります。言葉を好きに書き並べられた自由の代償を作曲段階で支払うことになるわけです。​


しかし、だから詞先は無理だというわけではなくて、たぶんあまり現代の音楽のような複雑な構造の音楽には向いていないアプローチなのではないかなと私は実際やってみて思いました。
逆に古典的なフォークソングやブルース的なジャンルのフォーマットにはあっているかもしれません。つまりメロディーや楽曲の構造(ABサビやブルース進行などのこと)に向き不向きがあるのではないでしょうか。

 

では現代的な音楽は歌詞から作れないのかというと必ずしもそうでもなく、最近の私の場合はわりとハイブリットです。
例えばAメロBメロは曲先で作ったけれどサビはまだできていない状態でふいに浮かんだ言葉が気に入ったのでそれを元にサビの一部分をその言葉に合わせてメロディーを作り、そこからまた他の部分のメロディーを組み立てて歌詞を作るという風な具合でやっているのですが、これはなかなか良い手法な気がしています。
「ベースはあくまで曲先だが、メロディー完成前であれば、気に入った言葉や言い回しは部分導入的に詞先により組み立てる」というやり方です。
この手法の良いところは詞先部分については言葉からメロディーを作るわけなので、言葉のアクセントがメロディーと完璧に合わせられることです。
つまりメロディーを言葉に合わせてつくれるので、例えばその言葉が実際の会話で発音されるようなアクセントに近いようにも、いかようにも作れるということです。
これは場合によっては(例えばサビ部分の一番目立つメロディーなどで特に)非常に大きなメリットです。

というわけで今回は以上です。話題が話題なのでかなり主観的な内容となりましたが、まあ実際どちらと決めつけずにいろいろと試行錯誤してみることも大事かもしれませんね。こんな文章でもなにか少しでもみなさんの制作の参考やヒントになれば幸いです。


それでは。