アルバムリリースにあたり

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この文章は昔でいうライナーノーツのようなものです。

CDの時代が終わり、ダウンロードに続いてストリーミングが一般化した現代の音楽視聴環境における補完的な何か。そのような位置付けの、いわばセルフ・ライナーノーツです。

 

歌を作るとは何なのか。

そのことについて3年考えていた。

また歌を聴くこととは何を意味するのかを。

私はこれまで楽器ばかりやっていた人生だったのでそれは完全に未知の世界だったが、とにかくやってみたかった。

とにかくやってみようと。

アルバムをとおしてみてわかったのだがその挑戦は非常にシンプルなメロディーから始まり、試行錯誤の結果またシンプルに戻ったようだ。

それとは逆に歌詞のほうは多少複雑な方向へと向かっていった気がする。

といっても私はもともと詩的な人間ではないので、まあ私にしてはかもしれない。大抵の人がそうであるように、自分のことはわかっているようでよくわからない。

メロディーができてくるとボカロで歌のトラックを作るのだが大抵の場合まだ歌詞がないので「ドレミ」で入れる。

そうして聴いてみるといつも自分が作ったのにどこか他人のような、他者性というか、なにか不思議な感覚を受ける。

これはなんなんだろう。

どこかの女の子が何かを歌っているようだ。

それを繰り返して聴いているとひとつの疑問が湧いてくる。

ああ、この子はいったい全体、必死になって何を歌っているんだろう。

それは創作というよりも好奇心という言葉が近い。

もちろん何を歌っているかは自分が作詞して作っていくわけだが、それとは別にこの子は確かに、すでに、存在して、何かを必死に歌っている。

それは創作というよりは誰かを見つけだす作業かもしれない。

この歌の人物は確かにいる。どこかに。彼か彼女なのか。あなたかおれなのか、ぼくか私なのか。

しかし確かにいる。それがわかる。根拠はないが確かにいるなと。わかる。

その誰かは画面の向こうにいるかもしれないし夕暮れの駅にいるかもしれない。社会の隅でひっそりと単調な毎日を繰り返しているかもしれない。地下鉄の駅に、公園の前にいるかもしれない。息苦しい学校の中か、あるいはひきこもった部屋の中にいるのか。動画サイトの古いアーカイブの暗がりのなかに存在の形跡を残しているかもしれない。そもそも人ではなく鎖に繋がれて自由を思う犬かもしれないし、もしかしたらすでにこの世にはいない人かもしれない。彼を彼女を探し出せ。見つけ出せ。そして彼らに彼女たちに、もしくは犬に、あるいはそこに含まれる自分自身に、名前をつけてやるのだ。語られない言葉たちに、しまい込まれた感傷に、忘れられた物語に。それがおれの歌だ。私の歌だ。きみの歌だ。

そして完成したあとでわかる。

ああ、確かにその人はいたんだと。

 

それが歌を作ることだ。私にとってはそういうことだ。今のところはですが。

 

最後にYouTube動画でお借りしたイラストの作者の皆様に、多数ジャケットイラストを描いていただいたあまがみこさんに、株式会社AHSとLogic Pro Xの開発者たちに、過去と現在に生き続ける偉大なミュージシャンたちに、そして曲を聴いてくれたすべての人に最大限の感謝を。