誰も一人で死ぬ必要はない

 

誰も一人で死ぬ必要はない

言葉を意味として受け取ってはいけない

言葉には内に発生した感情の発散という側面がある

強い怒りの感情を持った時に人はその憎しみのエネルギーを内にしまっておくことができない

それができるのは本当に強いごくごく一部の限られた人だけだ

もしくは守るべき何かがある状況

例えば社会的立場であり、SNSであればフォロワーであり、家庭内であれば家族の信頼かもしれないし、恋人であれば築き上げた愛情かもしれない

人は匿名性を持つと安易に憎しみのエネルギーを強い言葉に変えて発散してしまう

その怒りのストレスから解放されたい欲求に対するリスクが低いからだ

つまり怒りの言葉とは考えようによっては自分のためなのだ

誰も一人で死ぬ必要はない

しかし死ぬ時には誰もが一人で死ぬのにこれは不思議な言葉だ

無差別に無抵抗な弱い者を殺して死ぬことはどういう意味があるのだろう

もちろんそれは私にはわからない

私は彼ではない

何かに対する復讐だったのだろうか

自分を貶める社会や世間や

わからない

彼が見えていた視界がみえないのにいったい誰に何がいえるだろう

分析は無意味なのか

個人が極端に可視化された社会システムがもたらした負の一面なのか

正直にいってまったくわからない

誰かを殺したいという感情と見知らぬ誰かを殺したいという感情にはあまりにも隔たりがあるように思える

本当に誰も死ぬべきではないのか

皆死なねばならぬ(バラー・モルグリス)

わからない

人が企業で働くのはなぜだろう

人は働かなければ暮らしていけない

それは正しく表面的でもある

人はおそらく、本質的に社会と繋がっていたいという欲求がある

人類の進化の過程と関係があるかもしれない

もしもこの地球に人間がたった一人しかいなかったら

私は私をどのように認識するのだろう

自己を認識するのは他者との関係性によってだと何かで読んだ

本当だろうか

しかし、他者との関係性によって自己を認識するのであれば人が仕事をすることにも理由がつけられる

生産者が食料を作り企業がサービスを提供する

それは利潤の追求であり社会への貢献だ

企業がなければ私もあなたも、自分のケツすらまともに拭けやしない

もちろんLINEもインターネットもできない

働くこととはつまり社会へ貢献することでもある

労働力の提供だ

人は時間を提供して金を得る

そして社会的安心感をも得る

それはつまり集落への参加意識だ

部族内からの承認だ

そして自分の意味を少なからず見出す

自分はすくなからず意味のある存在なのだと

それがほぼ間違いなく「あなたでなくてはならないこと」でなくとも

そんなことは関係ない

私でなくてはならないことがどれだけこの世にあるだろう

あなたがある日いなくなっても会社は、社会は回る

どれだけの重要人物であろうともたとえそのことで数ある株式会社のひとつが消滅しようともそれにどれだけの意味があるだろう

セブンがなくてもローソンがあればまあ別に、というわけだ

労働をするということはつまり人が自己を承認するための手段としてのある集団へ参加する行為ともいえるのではないか

誰も一人で死ぬ必要はない

本当だろうか

もしかしたら私もやはり死ぬべきなのだろうか

わからない

一人で死ねとはつまり社会という集団から特定の属性への非常に強い否定を意味するように見える

見える

言葉は感情という深い海を地上から見渡した時に見える波のようなものではないか

誰も海中の様子をうかがい知ることはできない

大事なことは考えることだ

深い考察、深い考察

考えろ、考えろ、考えろ

プラカードや企業の入出カードのように首からぶら下げてはどうだろうか

私は他者に危害を加えません

私は無害です

私は誰も人を道連れに死のうなどと思ったこともありません

そうじゃない

考えろ、わからない、考えろ

大事なことはそう

歌を作ることだ

何をいっている

音楽は救済だ

自分を癒し誰かを救う可能性を秘めている

あらゆる芸術はそうだ

あらゆる創作はそうだ

自分にできることをするのだ

では極端な話、近所の草むしりでもいいのか

社会への貢献とは

私は無能だが無害です

殺さないで

誰も殺さない

誰も死ぬ必要はない

そうなのか

わからない

皆死なねばならぬ(バラー・モルグリス)

死は救済なのか

死は逃避なのか

死は敗北なのか

死は現実なのか(そうだ)

ひとつだけ私がわかっていることは

死後はなにもできないということくらいだ

深い意味もメッセージもない、これはただの事実だ

死は肉体の機能停止を意味する

心臓が停止し脳は酸欠になり動作しなくなった状態

OSの起動しなくなったPCのように後は廃棄されるだけだ

壊れない機械がないように壊れない人もいない

結局は一人で死ぬか社会で生きるかなのか

生がポジティブであり死はネガティブなのか

社会人が正しい姿で中年ひきこもりは間違った姿だから死ぬべきなのだろうか

人が労働を良しとするのはなぜだろう

それは他者になにかを与える行為だからだ

人はなにかを与えてくれるものを良しとする

コカイン使用で逮捕されたミュージシャンと官僚に対する扱いの違いはそこにある

彼は法を破り社会からNOといわれているが私に与えてくれた

彼を助けなければ(官僚はどうでもいい)

官僚も国家のシステムを運営していたはずだ(これはおかしい)

なぜだ

それはつまり感情に根ざした話だからだろう

人は与えてくれるものに弱い

人は与えてくれるものが好きだ

それが無料ならなお望ましい

自分はなにかを与えられるのか

無理だ(甘えるな)

でも無理

しかし社会とは結局はそういうことではないのか

与えるなんてめんどくさい

漫画を読んで暮らしたい

好きなことをやれ

好きなことを、得意なことを

そんなものはない

他人からは非難されたくない

そう集団の原理とは過酷だ

どうすればいいのか

死ぬべきなのか

結局は皆死なねばならないのか

わからない

考えろ、考えろ