救いのない暴力や同調圧力を描写することの意義

 

なんかはてなで漫画が上がっていたので読ませていただきました。

 

shincomi.shogakukan.co.jp

 

togetter.com

あまり新しい漫画を読む機会がないので、ネットで読めるのはありがたいですね。

面白かったです。

togetterでは露悪とか悪意の塊という表現がありましたけど、自分はあんまりそういう風にはおもわなかったですね。

たぶん醜さを再現することの意味みたいな話なのかなと思ったんですけど、創作ってなんであれ基本的に逃避か共感のどちらかではないかと考えたことがあるのですが、この作品が社会的になにかしら意味があるとしたらたぶん共感のほうなのかな。

異世界的な物語を人が好むのはエンタメの様式美とかではなく、それに現実からの逃避要素があるからなんですよ。剣とか魔法とか呪いの世界が好まれるのは全部現実にそれがないから。そこに一時的な現実逃避という快楽があるからだと思うんですよ。

一方の共感の物語というのは、消費する側が現実とどう対峙するかの助けにね、もしかしてなりうるもの。

それでこの物語は大人の暴力だったり学校の同調圧力だったり子供の情のなさなどが描かれているんですが、非常に生々しいですよね。実際自分のことを振り返ってもそうなんですが、子供って大抵暴力的だし全然優しくないんですよね、現実世界では。大抵の人は大人になるほど優しくなる。つまり優しさって人が成長するにしたがって困難に対峙したり恋愛だったりで経験をしていくなかで獲得していく後天的な美徳だと思うのですが、つまり小学校という集団はそういった未熟な生物が集まってともに生活する非常に危険な場所なんですよ。

ああ、なんでしたっけ。また何をいいたいのかよくわからなくなってきた。

残酷なものを描写する意義の話でした。

例えばね、この物語の主人公の子のような環境に実際に置かれている人、あるいはそれよりはまだマシな状況で耐えながら生きている人々がいたとして、こういった現実をフィクションの中に再現するということは、それ自体に意義があると私は思うんですよ。

単純に自分と似た人を見つけることでそれが救いになる可能性があるということです。ありきたりな言葉でいえば、「私のような人は私ひとりじゃないんだ」という方向性の救いですね。

あるいは自分はこの子よりまだマシだという形の救いです。

私は体の具合がひどい時期があったのですが、その頃ずっと見ていた映画があってですね。

「戦場からの脱出」っていうベトナム戦争中に捕虜になった米軍パイロットの自伝を映画化したものなんですが、本当に悲惨なんですよこれが。それで不思議とその映画を見ていると励まされるんです。励まされるというとちょっと違うかもしれませんが、なぜか癒される。たぶんこいつの状況よりマシだと思ったんでしょうね。あとソウとかもやたら見てました。

 

ブコメの反応をみてるとオチがないとか結構ありがちだとか、そんなコメントがあったのですが、でもそもそも共感の物語ってのはありがちでもオチがなくてもいいんですよ(オチはあった気がするけど)。そこに自分に近い何かや誰かを見つけること自体に意味があるわけだから。下手に綺麗にまとめられると逆に違うわけです。だって現実は全然綺麗にまとまらないし解決策もなかったりするわけでしょう。答えはなくてもいいんですよ。たとえ作られた物語であってもそこに自分に似た境遇の誰かが存在すること自体に意味があると思うんです。

作者の方が(17才!)どういった意図でこういった物語を描かれたのかはもちろんまったくわからないのですが。興味深く読ませていただきました。タダ見ですみません(売っているものではない?)。

 

ところでついにゲームオブスローンズ第7章を見はじめました。

やばすぎる。敵味方入り混じる胸熱展開。結構王道に見せかけてフェイントだったりやっぱり王道だったり、本当すごいですね。必見の超大作。

AmazonPrimeだと7章から有料なのですが、スターチャンネルという有料チャンネルがはじまったみたいで(BSで昔延々と映画を見ていましたがそれのAmazonチャンネル版らしいです)、17日間くらい無料視聴できる。やったぜ。せこい。いいえ、生活の知恵です。

ではでは。