存在しない状態になってしまう問題の対策

 

最近ずっと考えている問題ですが、YouTube限定公開でサブスクもださないと存在しない人になってしまう件。

 

やっぱり出すしかないのかな。

 

考えを改めました。いや改めるべきなのか。何度目だって話ですが。

 

生々しい話になりますが、暇でどうしようもない方はぜひ読んでください。

まずYouTubeはね、限定公開のままでいい。

なんでかというとYouTubeは外に人が流れないで完結してしまうので、全公開するメリットがいまのところない。

逆に限定公開のほうがこのブログの価値が上がって良いんですよ。たぶんそう。

 

問題はサブスク。

「動く、動く」のカバー曲を1年間去年サブスクとダウンロードでだしていて、両方とも結構伸びてたのですが、1年契約終了してダウンロードオンリーで出しなおしたら全く無反応になってしまった。

このことから考えるとですね、どうもサブスクとダウンロードは連動しているんだろうな。iTunesなんかそうですよね。

Apple MusicとiTunesは画面一緒だし。Apple Musicでも聴けますみたいなやつ。

サブスクからダウンロードに流れることもある。

再リリースすると別の曲扱いになってしまうので、評価とかゼロになるのも多分関係しているな。 

結論としては結局サブスクださないとだめなのかな。

あと1年間アルバム2枚とシングルをサブスクで出しなおしてみようかな。

んー、これはつまり必要悪。言葉はよくないけど。でもそうとしか表現しようがないなあ。

 

もしかすると、そうすることでこのブログにきてくれる人も増えるかもしれない。

ここまで細かく内情を書く人もあんまりいないと思いますが、いわばドキュメンタリーですこれは。

それもまたいいんじゃないのかな。

音楽関係のこういった話題のブログなどよく読むのですが、極端な意見ばかりな感じで全然リアリティーがない。つまり消費者側か制作側か。

所詮人は客観的であろうとしても、自分の位置している場所のメリットデメリットから影響を受けないことはありえないんでしょうね。

個人的なブログやSNSであればなおさらそうです。

だから自分が音楽活動してない人のこの手の話題なんか読んでみてもね、全然しっくりこないんですよ、どれも。音楽マニア的な人には持続性だったり多様性だったり経営的な視点が完全に欠如しているように思えるし(結局他人事だから当然ですが)。かといってとにかくライブにきて欲しいといった売れないバンドの主張はまったく現実をみていない気がしますね。

自分はどちらとも違います。違うと思う。

現実にたった上でできるだけ広く多くの音楽が聴かれて持続可能な活動のモデルを模索しているんです。なぜかというと音楽が好きだから。メジャーなものもニッチなものも。結局はでもそれだけです。

例えば無料動画サイトでの音楽視聴スタイルやサブスクリプションの普及で金銭的価値がゼロ近くまで下がった結果、どれだけのミュージシャンが、どれだけの曲たちが、やっていけずに消滅していったのか。

誰もそんなこと誰も気にしない。それは当然ですよ。それは存在しない人たちだから、存在しない曲たちだからそもそも気にしようがないわけです。この問題の本質はそこなんです。でも誰もそんなこと気にしない。でもそれはすでにあるわけだから。今は2019年です。見て見ぬふりをしても意味がないんですよね。多数の恩恵も感動も共感も新しい表現も生まれた。それは素晴らしいですよ。でも結局みんな死んでしまった。それが良いことなのか。悪いことなのか。

いろいろ書いていますが、書いている自分自身わからないですね。本当にわからない。

非常に難しい話題ですこれは。そもそも個人やグループの伸びしろという圧倒的不確定要素があるからプラットフォームや外的環境のことだけで考えることもできないんですよね、当然ながら。

だから誰も判断できない。結局目にするものがすべてなんです。

まあ考えてもわからないですよね。

意味のない文章です。

それでサブスク、、出すか。うーん。

Big Upでオリジナルの方は出していましたが、そちらはいったんやめました。リリース名義が変わっちゃうのも微妙だし。Big Upは途中で配信停止できるんですよ。tunecoreは無理。

 

うーん。もうちょっと考えます。

 

 

追記:

結局サブスク流しました。

カバーアルバムのほうですね。

オリジナルのほうは来月リリースしたいと思います。