表現の不自由展の話題 2

 

いやこの話題、なかなか、かなりよくわからないな。

くるりの方のツイートですね。

 

企画の主旨

一度は展示されたもののその後撤去された、あるいは展示を拒否された作品の現物を展示し、撤去・拒否された経緯とともに来場者が鑑賞することで、表現の自由を巡る状況に思いを馳せ、議論のきっかけにしたいということが展覧会の趣旨です

 

もともとの主旨がこう。

現在過去の問題があった(ある)もの集めましたって企画。であれば、あの作品自体にアート性?というのも難しいけど、いいかえれば芸術性?とかかな。そこはそもそも関係ないのでは。もともとが撤去されたり展示拒否された作品を集めようと。それだけ。

 

それで実際あの像はあるわけでしょ。韓国とかに。wikiによると。

そして像というのはまあ、ジャンル的にはアートだよね。意図が100%政治的ならアートじゃないということもない気がする。ジャンル分けすればダビデ像と同じとこに入るんじゃない?像、だよね。像。そこに嗜好性は関係ない気がする。

話題の像自体が政治的表現100%のオブジェであってもジャンルは像だよね。ただ作品である以上100%政治というのもない気はするけどな。つまり服の色はこういう風がいいなあとか。目は一重がいいなとか。素材は〜とか。ちょっと関係ない話か。

 

紙に書かれた絵はすべて絵画ともいえるし、音を録音すれば音楽というただそれだけの話で、嗜好性や芸術性やクオリティーの高低や、作品の意図や使われ方、たとえプロパガンダ的なものであっても政府を糾弾するものでも、そこは関係ないのでは。像は像。アート。でもアートって言葉を使うとちょっと違う意味を含んでしまうのかな。芸術性みたいな。誰かが「こんなのはアートじゃない!」という言葉を使う時にはちょっと別の意味が入っている気がする。評価的ななにかが。じゃあ例えば少女像。「こんなのは像じゃない!」って誰かがいったらどうでしょう。いや像は像でしょ。

うーん。言葉の定義について考えてもあまり意味はないな。

 

たぶんあらゆる議論の前提から企画の意図が飛んでるのでは。そんな気がする。つまり「やばかったもの集めました」だからやばくて当然では。

それをやばいからNGでは企画自体の否定では。だったら最初からやるべきじゃないしな。

ただ物事を隠したところでその像は実際あるわけでしょう。個人的には賛成も反対もないし関心もあまりない。

だけど、隠してしまうこと自体にはどちらかというと反対ですね。公に出ること自体をNGにするのはよくないことだと思いますね。だって繰り返すけどその像はあるんでしょ。海外に。見ないふりしても意味ないのでは。あえて見なくてもいいけど、見せたっていいでしょう。そういう企画だし。それは賛成反対好悪嫌悪事実嘘とは関係ないと思うんだけどな。そういう話ではないのかな。違うのかな。例えばその像を取り上げること自体に一定の政治的意図があるといわれると、それはそうかもしれないけど、題材を取り上げる人に一定の意図があるのは別に当たり前のことでね、それを踏まえても踏まえなくてもそっから先は見る側の判断や理解の話でそこは不可侵だし。つまりそういう構造がね、まず表現の基本じゃないのかな。

そしてそういった作品の制作や公開自体を一定の思想や好悪や政権の方向性や国際関係等々のあらゆるしがらみにかかわらず、あなたたちの権利として保証しますよと。それが表現の自由という話ではないのかな。

わかんねえな。難しい話だ。

 

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