いらすとやと大量絶滅の話題

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単純な自由競争の話でもないかもしれない何周目かわからない話題。

消費者視点で価格が0にまで下がると何が起こるのかって話かと思うんだけど、まあ圧倒的淘汰だろうな。今はたぶん大量絶滅期なんだと思う。ペルム紀並みの。それは大げさか。

無料っていうのがポイントだと思うんだけど、そうなるともはや競争ですらないんだよね。価値観自体が変わってしまうので。例えば今、音楽は無料か月1000円程度で何でも聴けるでしょ。昔は違ったんですよ。それが価値観の変化って話。価値を変えるのは無料という概念。一度無料になってしまうとそれにコストをかけることが間違っているようにすら感じる。それが大量絶滅の境界線。P-T境界。

それで基本的には有料は無料には圧倒的に勝てない。どんなジャンルであれ。

契約すら不要だから、サイトにいって必要な画像落とすだけだし。

そういう手間も含めて圧倒的。

 

アメリカ大陸のインディアンを襲った新種のウイルスみたいなもので、どうしようもない。何が正しいとか悪だとかそういう議論も無意味。違法ではないし、誰にでも機会は平等にあるんだし。機会はね。

 

まあ淘汰ですよね。自然界の定めなのか。人類は自然を模倣する。芸術においても、経済においても。てきとうなこといってるな。

 

インターネットと広告業界が結びついた時点で何が起こるのか。広告モデルビジネスが誕生し、はてしない無料世界と淘汰が起こる。

じゃあみんな無料広告モデルにすればっていうと、絵柄だったり客層だったりで向き不向きがあるので誰にでもできることでもない。そもそも2番手では遅い。無料より安いものはもはやないからね。下手すると食い合ってプレイヤー全員がビジネスとして成立しなくなる。

広告モデルってのは従来の商売と違い恐ろしく単価が低いので、たとえ無料でもとんでもなく母数を集めないと成立しないビジネスモデルだから、個性は逆に邪魔になるかもしれない。表現の面でどんな変化があるだろう。誰もが好かれることよりも嫌われない努力をしだすかもしれない。必要な機能を有し可能な限り考えうる客層に「より嫌われないもの」だけが生き残る。焼畑農業だとか市場破壊って言葉があったけど、ある意味で正しいと思う。

しかしもしおれが飢えていたら焼畑の収穫物を食う。そりゃそうだ。

じゃああなたはコンビニ使いませんか?使う。

そして商店街は死んだ。 

CD買いますか?ツタヤで借りる→Spotifyが素晴らしい。YouTubeでいいわ。

そしてミュージシャンは死んだ。

ちょっと話が逸れてる気もするが。

でもインターネットとかアプリの広告モデルはちょっといわゆる自由競争とは違う気がするんだよね。

なんていうか、中世の騎士の戦場にマシンガン持ったやつでてきたみたいな感じなのか。

関ヶ原で第二次大戦の戦車登場とか。

そんなレベルでは。

ほぼだれもが無料には勝てない。いや自由競争ってそこも含めてそうだといわれればそうかも。どのみち言葉の定義自体には意味はない。大事なことは今起こっている事象について考察しその結果何が起こるのかを考えることだ。

しかしじゃあ滅びるのが許せないのなら、過去の消滅した仕事や芸術や絶滅種のすべてに同情しないといけなくなってしまう。キリがない。

でもこの流れの本当のデメリットは誰かが食えなくなることじゃなくて、広告モデルそれ自体のビジネス構造だとは思うんだけどね。広告モデルは異常なまでのPVが必要だからそれによってあるジャンル自体の多様性が失われる可能性。

滅びるのもまあそうだけど、圧倒的大人数を集めないと成立しないモデルが主流になると、ニッチというものが入り込む隙間がない。万人に受け圧倒的シェアを確立しないと成立しない。そういうことがいろんな分野で起こっているのかも。物の価格がゼロになるっていうのはそういうデメリットがあるんだけど、このデメリットの難しさは消費者に直接実害が見えるわけじゃないし、一方でメリットは目に見えてわかる。無料っていう圧倒的なやつが。どんなやつにもわかりやすいメリットが。だから誰もそれを止めることができないし、いいことしか見えてこない。消滅してしまうものはまだこうやってtwitterなんかで取り扱われるけど、ましてや生まれてこないものに対して誰が悲しむ。そんなやつはいるわけない。だから、こういった淘汰の後に生まれることすら難しくなるわけで、そしてそのことに気付くやつもほとんどいない。世の中の人々のほとんどは消費者だからね。労働者ではあるけど、製作者ではないから。経験上わからないし、理解できないデメリットを考えるはずもないし、わからないものを止めるわけもないでしょ。そもそも棚に上がってこなかった商品のことなんて誰も考えないし、だから議論は無意味って話なんだけどね。止める方法もないし、止めるのが正しいことかもまあよく分かってないんだけど。

いらすとやが世界を支配するってよく聞くけど、かなり笑えない話だと思う。

もちろんいらすとやはその流れの一例ってだけだけど。

 

 

幅を失うってのは間違いなくあると思う。つまり広告モデルっていうのはそもそもそういう形態のものだから。万人を集めないと成立しないからね。そして需要というものは無限にはない。

しかし、じゃあそもそもインターネット以前の幅と今の幅とどう違うのか説明できるかっていうとできない。でももしかしたらすでに恐ろしく狭まってるのかもしれないが。逆に開けたかもしれない。やっぱり気づかないのか。いやそもそも覚えてない。おれが無知なだけか。ただ漠然と存在していただけだからか。じゃあ例えばテレビが誕生する前はそれ以降と比べてどうだったのか。なにが滅亡してなにが栄えた。当たり前だがまったくわからない。昔はもっと物事に幅があったとかいわれても戸惑う。本当に失われるものってのは気付かないのか。じゃあ徳川幕府のころはよかったとか、まあいいか。ようするに生きてる時代のことしか誰もわからない。じゃあ別に幅なんてあってもなくても一緒では。そうなのか。わからん。

でもとにかく誰も止められないし、おれだって当然なんでも無料がいい。だからどうしようもないって話ですよね。大量絶滅は不可避。

でもどうせ誰ももはや存在しないものや生まれてこないもののことなんて気にしないし認識もできないでしょ。そういう話だろうな。

 

しかしじゃあ、これまで支払われていた分の金はどこに消えたんだろう。

そう考えると不思議だな。エネルギーは保存されないのか。いや広告か。その分広告の出向が増えた。誰かがとある商品を目にする機会が増えると。

広告へのPVが。つまりソシャゲとか車とかDMMの同人誌とかAmazonで欲しいものリストに入れたものとかのPVが。

つまりそれでものが消費されればそれはそれでいいのか。そういう気もするが。

いやそういう話でもなかったか。まあいいや。

 

追記2019/8/24

大量絶滅は不可避だという点ですが、方法はまだあるかもしれません。

端的にいうと市民運動です。

といっても誰かを糾弾するわけではなく、ただ私たちは「フリー画像を使いません」と宣言して誓約するんです。そういう組織なりサイトなりを用意して著名する。それだけ。いわば自分の自由を制限するわけです。そういった活動を広めていく中で無料サイトを利用することで失われる市場や創作物や価格の維持というものの重要性を辛抱強く社会に理解してもらうことです。

関係ない話ですが、最近自然系の番組をよく見ているのですが、この事象は地球温暖化の問題と似ていますね。

個人や企業が自分の利益を追求することで地球全体の環境だったり種だったりに不都合が起こるという、資本主義や自由競争のバグみたいなやつです。

だからまあ、それと同じように不毛な活動の可能性は高いと思いますが、そういった方法もあるなと。ちょっと思いました。

ただイラスト界隈についてだけ考えると、問題があると認識する人がある一定のラインを越えれば急激にその利用者が減る可能性はあるかもしれない。それを利用することが社会的に気まずくなれば人はそれを使わなくなるんですよ。

つまりメリットしかないのならデメリットを増やしてやればいい。もちろんデマや誹謗中傷などもってのほかですが。今の世の中では不誠実さは致命的な過ちです。

イラストはタレントのように他者に露出するビジュアル的な部分の話なので、その可能性は結構あるかもしれない。

まあ個人的には地球温暖化防止のほうが大事ですけど。そりゃそうか。