小説なんて誰にでも書けるという話題

anond.hatelabo.jp

  

もう15年くらい同人活動してる。二次で書き続けてて、作品が好きとか文章が好きとか言ってもらえたんだけど、その言葉を聞いてから一気に書けなくなってしまった。

15年も続けるってとんでもないな。

 

しかしたら、その発言をした人は本当に誰でも書ける(から気軽に始めてみようよ)って言っただけなのかもしれない。

直接いわれたわけではなく、twitterかなんかで見たって話だろうか。

 

誰でも書けるんなら自分が書かなくてもいいんじゃないのか?と思った。

 

小説なんて誰でも書ける

まあ私も100メートル走れるしな。

2019/10/03 12:30

b.hatena.ne.jp

 

小説なんて誰でも書ける

(出来を無視すれば)小説なんて誰でも書けるというのは本当だが、あなたが書く小説はあなたにしか書けないし、面白い小説は才能を持った人にしか書けないのだから気にせず書くべし

2019/10/03 11:55

b.hatena.ne.jp

 

小説なんて誰でも書ける

絵だって誰でも描けるし小説だって誰でも書けるし、好きなものを好きというのも誰にもできる でも実際にそれを最後までやりとげてWebに載せられる人間はそんなに多くない。「巧くないと書いてはいけない」こともない

2019/10/03 13:41

b.hatena.ne.jp

 

結構本質的な話題だなと思った。

人はなぜ何かをやるの。

何もしないほうが楽でいいかも。何かをやるのは、作るのはめんどくさいし失うものもおおい。

 

A: 自分にしかできない表現があり技術があり、時間もある

B: 自分にしかできない表現はないが、固有の技術があり時間もある

C: 自分にしかできない表現はなく、固有でもないが習得するのには修練を要する技術があり時間もある

D: 誰にでもできるし固有の技術も必要ないが自分くらいしかやる人がいないし時間はある

E: 誰にでもできるしやる人も多数いるがそれをやることが楽しいし時間もあるからやってしまう

F: 誰にでもできるしやる人も無数にいるしさほど好きでもないがそのコミュニティーが好きだし時間もあるからやる

G: やらないと物理的に死ぬからやる(もしくは好きではないが金になる)

H: 時間はあるし死なないが他のことがより大事なのでやらない

I: 好きでもないし物理的にも死なないし時間もないからやらない

J: 誰にでもできるしやる人も多数いるし時間もないからやらない

K: 誰にでもできるしやる人も多数いるが好きだからやりたいがやる時間はないからやらない

L: 誰にでもできるがやる人はいないし好きだがやる時間がないからやらない

M: 自分にしかできない表現はなく固有の技術があるがやる時間がないからやらない

N: 自分にしかできない表現があるが時間がないからやらない

O: 自分にしかできない表現があるかわからないし固有の技術は必要ないが時間がないからやらない

P: 時間がないからやらない

 

複雑な要素が絡む話題だ。

固有の表現があるのか、技術があるのか、需要があるのか、単に好きなのか、時間があるのか、もしかして金になるのか。それらを含めて形にするだけの動機が自分にあるのか。

そもそも自分にしかできない表現かどうかを調べる方法はないな。

別に調べる必要もないか。必ずしも固有である必要もない気がするし。

 

しかし、こう考えてみると「人がなにかをやる」というのは表現だったり必須の技術の有無(習得済みか不要か含め)以外に、時間というものが絶対的に必要では。

そりゃそうだ。時間も技術もかけずにできるものって逆になんだよ。

あるいは金になる。金は時間を相殺できるからな。

いやつまり「なにかをやる」とか「作る」って、その人の人生における非常に限られた状況においてしか「やる」選択肢は現れないのでは。

いやでも、15年もできてるのか。うーん。

そんなに時間かからないものなのかな。いや、小説はそりゃあ時間かかるでしょ。やってみたことないからわからない。たぶん。

短編とか?わからん。

でも、やるケースとやらないケースをいろいろ考えてみると、やはり作品としてちゃんとできあがったものというのはその希少価値や技術やクオリティーに関わらず一定の価値があると私は思うし、例えば状況によって完成しえなかったもの、生まれなかった無数の作品のことも含めて考えてみるとまたちょっと違うのではないか。

そもそも完成したものの中での総合的価値の話をしているのか。

じゃあまあ、それはわからん。

技術的な敷居の話であれば仕事を例にとってみればわかるが、固有の技術が必要なものほど単価は高い。つまり価値が高い。

しかし創作というものはいわゆる仕事とは根本的に違うと私は思っている。仕事とは要するに誰かが処理しなければならないことが物理的にあり、それをこなせる人が少ないほど単価があがるわけだが、つまりただの需要と供給のバランスの話だなこれは。

一方の創作が、何らかの手段でツールやフォーマットを介して人の心を動かすものであるならば、技術の敷居は本質的には関係ないと思う。ただそれをやれる人の母数に影響するだけだ。誰にでもできるという指摘はつまりはその前提技術部分の話であり、技術は本質ではないともいいきれないが(というより作品として総合的に人の目の前に現れるとそれはもう不可分だが)、技術だけでどうにでもなるものではないのは間違いない。技術で人間の心は動かない。それはそう。いや、そうか?

音楽でもクラシックとかジャズとか歌詞のないジャンルは技術の比重が大きいのでは。でも感動するよな。うーん。バンドやピアノトリオのグルーヴやバイオリンの音のニュアンスの出し方は技術なのか、表現なのか。いやわかんねえ。無理に分類するのやめろ。

ただまあ技術部分の割合が高いジャンルほど、逆に競争が過密しますよね。逆に。ほんのわずかなわからないレベルの違いでふるいがかかるというか。それもまた不思議な現象だ。より交換可能になる。それはつまり自分が小説を書かなくてもいいのではという認識に繋がってしまうのでは。じゃあ技術が必要なジャンルこそそうなるのでは。いやそれはまた別の次元の話なのか。もしかして組み合わせの話なのだろうか。話がそれてきた。

 

あなたの作品はあなたにしか作れない。

それはそうだ。というより自分の作品ですら、二度と同じようなものは作れない。

初回のモチベーションもあるだろうし、逆に2回目の捻りや発展もあるだろうし。その時々のその人の考え方や嗜好や感じ方でも違ってくるだろうし。

だからといって違うからすべての作品には価値があるんだ!というのも無責任な気がする。その作品の価値を決めるのはそもそも自分ではない気もするし、作った本人にしかわからない固有の価値がある場合もあるかもしれないし。

要するに無数の創作ジャンルを含めた中での、それに自分の時間を費やすだけの価値があるのか意味があるのかという迷いの話だと思うのだが、結局は自分で決めるしかないか。

自分でないと思うのならやる必要はもちろんない気がするが。何かを作らなければその分何かができるからな。

まあ、特に結論はなかった。すみません。