シャッターの閉まった街の話

plagmaticjam.hatenablog.com

 

つい先日のAmazonの購入履歴表示だか個人情報だかの漏洩バグ対応で、たぶん誰もが感じたであろうことが、集約された記事だと思った。

非常に今ここだな、という感じがする。

 

普段使っているサービスってそれとなく愛着というか親近感みたいなものがあると思うのですが、例えばよくいくスーパーとか、近所の楽器屋さんとか。

私も最初に買ったエレキギター、Fender Japan製のテレキャスターは地元で買ったんですよ。今はもうない。楽器屋なんてもうない。本屋すらない。まあ、本はコンテンツのデジタル化の流れの中で消えていくべきものかもしれず、また違うかもしれないが。

しかしネットサービスでもそういうのあると思う。

Amazonの対応の冷たさは、身近に思っていた普段使いサービス提供側の自分たちへの扱いが露呈したような、そんな悲しい事件だった気がする。つまりお前らなんか別にどうでもいいよみたいな。

あ、おれたちどうでもいい客だったんだ。

いつのまにこんな扱いされる立場になってしまったのか。感傷的すぎるか。

お客様は神様である必要は全然ないし、むしろ商店街的な対等感がいいけど、消費弱者は嫌だな。でもそうなんだろうな。私たちはもはや弱者か。

Twitterなんかでも、災害情報アカウントが突然凍結されてヘイト垢が野放しだったりとか。でも誰もなにもいえない。いえることはいえるか。twitterとか、ブコメとかブログで愚痴るだけ。いやなら無理に使わなくてもいいんですよ、日本のお客様。私たちはお客様の個人情報を大切に思っています。私たちはお客様の個人情報を大切に思っています。AIとしゃべっているようだ。

よくよく考えたらこんなことは以前にもあったはず。

例えば地方の商店街がより低価格で品数豊富なフランチャイズチェーンに駆逐されてシャッター街になる。駅に店や人通りがなくなる。

だがしばらくすると採算が取れなくなる大手企業は簡単にいなくなってしまう。

そして誰もいなくなる。

土着性がない。

効率主義以上に思想がないと、最終的に自分を弱者に追い詰めてしまうものなのか。

それが今度は国という規模で行われている気がする。

じゃあ国内産業保護して不便なサービスを無理やり使わせられるかっていうとそれもどうも違う。

でもなんかこう法とかではなくて、自分の地域のものだったり自国発のものだったり、そういうものを応援していくような思想のようなものが、もしかしたら国には必要だったのかなという気もする。国というと大げさだが、コミュニティーとか、部族とか、なんでもいいが。ただ結局はどちらもさじ加減の話かもしれない。

だが、あまりにも効率主義や利便性以外に思想がない。ずっとなかったし今もない。

食い物にされている気がする。便利さや効率性を餌に。それは企業としては正しい姿勢だとは思うが。

でも国自体がシャッターの閉まった商店街化してしまえばもう私たちはなにもいわずに世界的企業の供給の中で生きていくしかないのでは。いやもうそうなってるか。

扱いが悪いだけならまだいい。

日本はうるさいし言語もローカルだし、あんま儲からないから撤退しようか。

そうなった時にそこにもう店はない。なぜなら私たちが彼らを捨てたから。

一方を選ぶということは他方を見捨てるということで、滅んでしまったあとでは取り返しがつかないのか。地方の商店街が復活しないように。街の楽器屋が経営再開しないように。

そのことを私たちはもっと真剣に考えるべきだったのかもしれないな。商店街はもうないけれど、国はまだあるわけだし。