5日間

5日間の沈黙に成功した。

黙ってるのも疲れるな。

小休止。もうちょっとがんばれよ。

 

「連載中止要求はクソオタによる捏造」は誤り。実際は「即中止を」「世の中に要らん」「有害図書」等『娘の友達』に対し攻撃していたが、誰も講談社に電話していなかっただけだった。 - Togetter

 

なんかまだ似た話が続いてた。

黙っていても世の中は勝手に進む。

他人は罵り合う。

そりゃそうだ。

 

[B! デマ] 「連載中止要求はクソオタによる捏造」は誤り。実際は「即中止を」「世の中に要らん」「有害図書」等『娘の友達』に対し攻撃していたが、誰も講談社に電話していなかっただけだった。 - Togetter

 

クソリプは電凸と違うのかみたいな話はちょっとおもしろいな。

んー。

違う気がする。意思を伝える意味では一緒だが。メールなら近いか。

電話は鳴るからなあ。

仕事の邪魔になるのでは。

まあでも脅迫とかテロ予告とかでない限り、クソリプはしょうがないんじゃない?

そもそも、そういう誰とでも繋がれる仕様なわけだし。基本的に褒められた行動ではないが。いや内容にもよるのかな。わからん。

 

これはでも対応としては簡単な話じゃない?

ブロックすればいいだけでしょ。

路上じゃないんだからただ棲み分けすればいい話。

どうせ繋がっても分かり合えないでしょうし。

twitterは公共の場なのかどうか考えていたんだが、そもそも公共の場というのは初めから定義されるものじゃなくて、いろんな人が集まるとそこが公共の場になるのかな。そうかも。いろんな分かり合えない人が集まると。

 

で、この話題を考える時に思うのが、例えば精肉店主と肉屋を襲撃するヴィーガンは果たして分かり合えるのか。

ただのヴィーガンと精肉業者はたぶん共存可能ですよね。仲良くはなれない。でもお互い干渉しなければいいだけ。

じゃあ肉屋を襲撃するヴィーガンと精肉業者は共存可能か。それは無理。

思想的に、または職業的に相手の存在が許されないから。

 

これはつまり肉屋を襲撃するヴィーガンの家に牛丼屋のチラシ入れたらダメって話なのか。違うかも。近い気はするが。

広告ツイートっていうのはいわばチラシですよね。だから怒られるのもしょうがないか?運が悪いとか。休日に道でたまたまムカつく知り合いに会ってしまうとか。そんなレベルなのか。ちょっとわかんねえな。でも思想的な話で敵対関係にあるからな。遭遇したことが不幸なのか。なんとも。どっちが正しいとかじゃなく?

君の立場なら君は正しい。

ぼくの立場ではぼくは正しいってやつか。

難しい。

 

でもtwitterは路上とは違ってブロックで棲み分けできるんだから必要に応じてぶつかり合わないようにすればいい話じゃないかな。まあ企業アカウント的によくない行為だとは思うが。

でもどのみち購買層ではないだろうし。

 

 

破滅エンド以外許されないの。

悪は悪として描かれなければいけないってのは凄い。表現規制か。直球っぽい。

そういえばジョーカーって映画はじゃあ許されない感じなのかな。結局観れてない。タクシー・ドライバーっぽいって話は聞いた。

いやちょっと待て。

そもそも他人の作品のストーリー勝手に決めちゃだめでしょ。編集者なの。

私設検閲とかそんな感じなのかこの発想は。だめっていうか、制作に無関係な人が、なぜストーリーの結末を…

うーむ。

いや、こんなんどうやってわかり合う。

無理じゃないの?

だから思想が違うんだろうな。

自由の国に向いてない感じはある。

でもこういう人々も自分たちの好きなものならどうだろう。

例えば…

いや出てこないな。

なんか実体のイメージがつかめない。

どんな嗜好性の人々なんだ。

それはそうとストーリー展開なんかでも規制とかしたいのなら、もはやオタクとか二次元関係ないよね。映画とかドラマとか。いやエロ描写でもそうか。

そもそもなんで二次元限定で戦っているのか。目立ってしまうだけ?

オタク人口多そうだしな。

ああ、映画とかはやばいのいっぱいあるだろうし。でもじゃあオタクを倒したら次はとかそういう感じに永遠に戦っていくのか。事案ごとに都度。個人の感覚で。いやどうなの。

思想っていうかゲームっぽい感じもする。表現規制ゲーム。

まあ思想があるからなんだろうけど、誰かを叩き潰したり追い出したりってのは結構ゲーム性ありそう。

しかしなにも生み出さず潰すだけか。

あるいはエンディングだけ勝手に口を出す。

 

んーまあでも世の中の作品が人に与える影響ってのはそうとうデカいでしょうね。

フィクションだからってのはある意味詭弁だと思う。

人はありとあらゆる物に影響を受けるしそこは線引きできるはずもなく。

でもだからこそ受け入れられないものってのは自然と消えてくもんだし、そこを無理にいじろうとするのは基本的には自然に反するんじゃない?

つまり社会悪を肯定的に表現するものが世に受け入れられるのだとしたら、それは逆に社会的にそういう背景があり必要とされているからなのでは。

それがまた誰かに影響を与えて、クソリプで抗議する人もいて。

そういうもろもろの表現や事象を受けて育った人の中からまた別の表現が生まれたりするんだろうな。