二次元イラスト表現の自由(年末版) の話題

二次元イラスト炎上論争「“悪い”表現」は、いったい誰がどう決める?(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

 

まさか年末まで続く話題だとは、誰が想像できただろう。

 

[B! 表現の自由] 二次元イラスト炎上論争「“悪い”表現」は、いったい誰がどう決める?(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

 

本文は読んでないけどな。

もう答え出てるからね。

だから分かり合えないって話よ。

 

結論としてはブロックが良いと思う。

Twitterで各自衝突しないように、目につかないように距離を置く。

 

議論なんて意味ないですよ。

そもそも思想が違うからな。

 

公共性の話もなんども見たんだけど、あいかわらず筋の通った説はない。

公共なんて幻想だよ。

人が集まって私がそこにいれば、それは公共。極論か。

しかし、好みの問題だろうなって以外あいかわらずなにもわからん。思想は一応は理解したとは思う。同意はしかねるけど、わかる部分も少しはあるが。現実に侵食しない表現は存在しないって意味ではね。もしもフィクションと現実が完璧に区別されるのなら、人が表現を行う意味なんて何もない。

だがそれと規制の可否はまた別。

そこが国というコミュニティーの基本方針、根幹に関わる部分であり、思想の違いだってこと。その上で規制したいわけでもない、とかいわれるとさらに混乱してしまうが。

 

でまあ、一般作品で本屋にも並んでるものを公共の場での取り扱い不可って勝手に区別するのはやっぱり差別的だし、個々の作品への弾圧といえばそう。

制作者や広告元企業なんかの利害にも反するわけで、わかりあえはしないでしょうね。

 

そもそもラディカルなフェミニズムって思想的に他者に介入する性質があるみたいだしね。危うい感じがある。

世界をより良いものに変えるとか。

それってつまり他者の自由な活動に介入することなんですよね。この場合は誰かの絵という表現と、その活動範囲において。

宗教戦争っぽい。思想闘争ともいえるかも。

 

だからまあ、結局敵が攻めてこれないようにするのが一番ではないかなと思う。

事前にブロックしとけよ。

そうすれば燃えないし、話題に上がらないので活動の効果はなくなってくるのでは。

荒らしはスルーって発想に近い。

どうなんだろう。わからん。

まあひとつの案として。

言葉は悪いが、相手にするからだめなんじゃないの。燃えるからメディアも取り上げるし、効果的になってしまう。

あるいはそのように見えてしまう。

 

でも彼女ら彼らの活動は自分たちの思想固有の表現があるわけじゃないし、常に誰かの不快な表現に対するカウンターとしての後出し評論家であり、twitterで燃やしてその反発意見をバネにして話題を伸ばすという手法のように見えるので、その辺に活動の限界や弱点があるかもしれない。

つまり誰も相手にしなければ伸びない、かも。微妙か。現実的でもない。反論はすべき?うーん。インターネットは制御不能か。

 

とまあ、非常に協調性のない論調ですが、結局他者の自由な表現への攻撃的な思想である以上は、それなりに敵なのかといえばそうかもしれないし、ならやはり戦略は必要かもしれないな。

私はなんでもかんでも表現の自由とは全然思わないし、原則に例外処理ってのは常に必要。

でもそれには少なくとも明確な定義が必要だろうな。例外の定義が曖昧ってのは最低のクソ。

例外が曖昧なら自由なんてどうとでも制限できますよ。今回の作品は例外に該当しました。詳細はお答えできかねます、以上。当たり前の話では。

 

例えば18禁エロは例外処理枠ですよね。基本的にはレーティング的発想がいいんじゃないの。あれこれ複雑だとめんどくさい。やるならね。

そういう建設的な具体案が出る余地があるのなら、双方に考える余地や相互理解的方向もあるかもしれないが、多分ないだろうな。

そんな人材がいるとも思えないし。結局熱いこといってるように見えても冷ややかに利害が透けて見えるとこある。フォロワー増やして単著を売りたいような低次元の思想の人間しかいなそうだしな。しょぼい国だ。誰もがそうでもないとは思うが。現代では誰もがある意味感情を利用されているようにも見えるし、昔からそうかもしれないが、まあ何がいいたいのかわからなくなってきたのでいいや。いつものことですが。

ではでは。